開運のまち

開運のまち おやま

 平成17年に人口が16万人を突破し、県内第二の都市となった躍進著しい小山市は「水と緑と大地」の豊かな自然環境に恵まれています。こうした環境から、この大地には古くから人々が集い、暮らし、魅力的な歴史を育んできました。7カ所もの国指定史跡があるのは、小山市が指折りの歴史のあるまちであることをしめすものと言えるでしょう。

 そのことは、日本の歴史を決定付けた1つの史実が物語っています。江戸幕府の成立に道筋を付けた「小山評定 -おやまひょうじょう-」です。「小山評定」は、小山市の最大の「ブランド」です。

徳川家康
市指定史跡 小山評定跡

 徳川家康は、慶長5年(1600)7月24日、上杉景勝を討伐するために会津(福島県)に向かっていた途上、下野国小山に本陣を置きました。その時、石田三成挙兵の報が入り、翌25日、急遽家康は本陣に諸将を招集して軍議を開き、「このまま上杉を討つべきか、反転西上して石田を討つべきか」を質したのです。これが世に言う「小山評定」です。

 このとき、尾張国清洲(愛知県)城主の福島正則が家康のために命を投げ出すことを誓い、続いて遠江国掛川(静岡県)城主の山内一豊が、「家康に城を明け渡してまでもお味方します」と進言しました。一豊らの建議が諸将の気持を動かし、家康支持で固まったのです。

 そして9月15日、美濃国(岐阜県)関ヶ原に東西両軍約20万の大軍が相まみえて天下分け目の一大決戦が行われ、東軍が勝利したのでした。家康が勝利を収めることができたのは関ヶ原の戦であっても、その栄光の道筋は、小山から始まったといっても過言ではないでしょう。

 小山市は、江戸幕府の成立に栄光の道筋を付けた「開運」のまちと言えるでしょう。